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初見感想!鬼滅の刃「遊郭編」振り返り【ごくうの考察】

【放火犯は死刑】NHK歴史探偵「吉原遊郭」2021年10月6日放送の感想

2021/12/16

テレビ感想 鬼滅の刃

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NHK歴史探偵「吉原遊郭」
NHK歴史探偵「吉原遊郭」の感想



遊郭はよくフィクション作品で取り上げらます。


最近では、人気アニメ、鬼滅の刃で遊郭が舞台になりました。



NHK歴史探偵吉原遊郭」(2021年10月6日放送)を見て、

私なりに学んだことを記事にしてみました。


出演


佐藤二朗 所長 俳優


渡邊佐和子 副所長 アナウンサー


河合敦 歴史研究家


石橋亜紗 探偵 アナウンサー


渡辺豪 遊郭専門書店経営

ほか



吉原遊郭は田んぼの中にあった


吉原遊郭は江戸にあります。


幕府が認めた遊郭です。


吉原遊郭は1617年頃、現在の東京台東区あたりに開設しました。


大変な賑わいで女性観光客もいました。


渡辺豪さんは、遊郭が大通りから見えると風紀上よろしくないということで、

吉原遊郭に続く道は曲げられています、と言ってました。


大通りには柳の木があります。


遊郭から帰る客が振り返るので「見返りの柳」というそうです。


何度か植え替えられて現在にもあります。


吉原遊郭は江戸の郊外の田んぼの中に造成された計画性を持って作られた町です。


どぶと塀に囲まれた300m四方の台地です。


土を盛って作っています。



遊郭は一晩で1000両稼ぐ!?



吉原細見とは

大東急記念文庫に吉原細見という本が所蔵されています。


春と秋に出版されていた、ガイドブックです

ガイドブック挿絵


この本から遊郭の敷地内を知ることができます。


大門(おおもん)からのびるメインストリート、仲ノ町通りと言います。


仲ノ町通りの両脇には引手茶屋が並びます。


案内所です。


お客さんは茶屋を介してお店に上がっていきました。


客の素性・資金力を見定められて、ふさわしい遊女が案内されます。


遊女もランク付けされています。


幕末の頃では吉原遊郭の売り上げ

1割が幕府に収められていました。


仲ノ町通りには桜が植えられます。


わざわざ桜が咲いてるのを根っこから持ってくるらしいです。


桜が散るとボタン畑なります。


夏が近づくとショウブになります。


大衆受けする狙いです。


秋には「(にわか)」があります。


俄とは2か月間、吉原遊郭の関係者が仮装することです。


吉原遊郭は男性以外も入ることができたということです。


女性客も仮装や夜桜を見に来ていた、ということです。



幕府の財源


吉原遊郭一晩で1000両という稼ぎがあり、幕府も収入を得ました。


良くないことですけど、吉原を禁止しなかったんです。


吉原にしても、後ろ盾が幕府なので安心だということです。


ある意味ギブアンドテイクです。



花魁道中


花魁道中とは、茶屋のあるメインストリートから脇道に入った遊女屋までを歩くことです。


行列の先頭は引手茶屋から紹介を受けた客です。


客に気前よく大金を払ってもらうための演出です。


客をおだてるわけです。


客の方もキレイな遊女を連れて自慢したいのです。


一晩で10両、現在の金額で100万円です。


夜になるとメインストリートのいたるところで花魁道中があったようです。



打掛(うちかけ)


花魁の打掛について、花魁が羽織る一番上の着物は派手に刺繍が施されています。


クジャク、トラ、西洋人の顔が入ってます。


面白いですね。


花魁のかんざしと灯篭鬢


花魁のかんざしをさした様子は、仏様の後光に例えられました。


花魁の髪型を灯篭鬢(とうろうびん)といいます。


クジラのひげを内部にさして横に形を作ります。


日本全国に広がっていきました。


遊郭と花魁はファッション文化の発信地でした。


江戸時代の初め吉原の伝説となった花魁を調査


東京日本橋、高尾稲荷神社があります。


高尾という花魁を祀っています。


高尾という名前は三浦屋の花魁が襲名するものです。


高尾稲荷神社には一番有名な高尾の頭蓋骨が収められています。


40年に一回、ご開帳されお清めされます


那須塩原の「あき」


栃木県那須塩原。


後に高尾となる少女が栃木にいました。


「あき」という名前です。


塩原ははるか昔湖の底にありました。


化石が取れるようです。


あきは拾ってきた葉っぱの化石を温泉にやってきた人に売っていました。


そこに、三浦屋の主人に化石を売ったところから養女となります。


やがて三浦屋の看板花魁となりました。


地元の大スターだということです。


高尾はどんな侍が来ても、嫌ならふってしまうことがありました。


意気地が花魁の大きな魅力でした。


史実の高尾は19歳で亡くなりますが、

歌舞伎、浄瑠璃、浮世絵、長唄になっています。


ゴッホも高尾を絵に描いています。


井原西鶴が書いた「好色一代男」にも出てきます。



遊女の現実


遊女のクラス

禿(かむろ)⇒新造(見習い)⇒遊女


遊女になって最大で10年間仕事をします。


卒業すると、年季明けといいます。


しかし社会で居場所がなく、場所を変えて客をとることになります。


厳しい過酷な環境です。


時代ごとに客層もだんだん変わっていきます。


大名武士が商人になり、やがて金を持っていない町人になります


得られる金が少ないので労働回数が多くなり、心身の疲労が高くなります。


放火事件発生1849年8月5日


吉原の梅本屋で放火事件が起きました。


放火の犯人は16人の遊女でした。


当時の裁判記録や遊女の日記をまとめた「梅本記」という資料があります。


遊女・小雛の日記から二日何も食べないでいたり、

腐ったものを食べる生活苦が書いてありました。


江戸時代後期、江戸周辺では非公認の遊郭があふれていました。


幕府が取り締まりを行ったので遊女が吉原に集まってきました。


遊女屋の経営は厳しく、借金なしには回らない状況でした。


そのしわ寄せが遊女にきます。


紋日(もんび)


紋日とは正月や七夕などに客から2倍の料金を取る日のことです。


梅本屋の主人、佐吉は紋日をほかの店より多く定めました


しかし、客が付かない遊女は、その支払いを遊女がしなければならなかったのです。


梅本屋から遊女が脱走することもありました。


責任を取らされたリーダー格の遊女・豊平は主人に殴られます。


放火の動機は遊女の不満だったということです。


死者は1人も出なかったようです。


囚われの身となった遊女は遠山の金さんの裁きを受けました。

遠山の金さん


火をつけた4人は遠島、残りの12人は禁固刑でした。


温情裁きと言えます。


放火は大罪なので死刑もあり得ます


遠島は島流しのことです。


梅本屋の主人佐吉は島流しでした。



まとめ


この番組から、

遊女や花魁をスターだと地元の誇りだといってもてはやすことがある一方で、

現実は厳しい環境で生活していたということが学べました。


私がもしこの時代に生きていたらどうしていたでしょう。


脱獄します。


走って門の向こう側にいこうと思います。


過酷な生活を考えると、放火した遊女の気持ちに寄り添いたいです。



最後までご視聴ありがとうございました。

thank you for watching

 

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当ブログ運営者 如意宝珠ごくう☸ と申します。 縁起のいい名前とは正反対なんですが、夜の闇を知る者です。 正確に言うとよく眠れない人です。 そんな私は、快眠についての情報を集めていたところ、極意を得ました。 お昼の活動こそが安眠につながるというわけです。 不眠解消の具体的な方法については別ブログで紹介しています。 https://minmin-sinsin.hatenablog.com/ 「大空スバル愉悦部」では 失言王で知られる大空スバルさんの配信の内容・感想記事を書いています。 https://syuba59.blogspot.com/ 「ごくうが気になること108選」では 「アニメを見て楽しい」という当たり前の報告やヒラメイタことを書いていこうと思います。 https://gokusanpo.blogspot.com/ 良かったらどうぞ見てください。 資格:G検定、ITパスポート

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